脱原発政策研究会・関西のメンバーたちが選ぶ、この10年間の原発関連本(感想文)

2021323

 

<目次>

今井一・「国民投票の総て」政策・普及委員会(編著)『国民投票の総て』小学館、2018(大音智史)

本間龍(著)『原発プロパガンダ』岩波新書、2016(漁野亨)

広瀬隆()『原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島』ダイヤモンド社、2010(朴勝俊)

海渡雄一(著)『東電刑事裁判 福島原発事故の責任を誰がとるのか』彩流社、2020(増井茂美)

添田孝史(著)『東電原発裁判 福島原発事故の責任を問う』岩波新書、2017(増井茂美)
安田陽(著)『世界の再生可能エネルギーと電力システム [系統連系編]』インプレスR&D、2019(村橋詳三)

吉岡斉(著)『脱原子力国家への道』岩波書店、2012(山崎一郎)
新藤宗之(著)『原子力規制委員会」――独立・中立という幻想』岩波新書、2017(斎藤 輝久)

 

 

 

 

 

今井一・「国民投票の総て」政策・普及委員会(編著)『国民投票の総て』小学館、2018

(大音智史)

 

私が反原発の意識を持ったのはもちろん3.11の原発事故ですが、市民運動に参加するようになったのは、その約半年後に今井一氏が立ち上げた「原発」国民投票の運動からでした。201111月に「原発」大阪市民投票の直接請求署名運動が始まり、その準備と12月からの署名期間中に今井氏はじめ多くの人と知り合いました。そのときの人脈が今もさまざまな運動につながっています。

その数年後、「原発」国民投票の運動から離れた今井氏は執筆活動に戻りますが、運動の中でリーフレットやフライヤー類を制作していた私に、著書の装丁を依頼してこられた。この「国民投票の総て」はその2冊目であり、かつ本紙組版まで含めてすべてのページのデザインとフィニッシュを私がやっています。私にとって初めての書籍制作であり、依頼の経緯、その内容も含めてここ10年で最も感慨深い一冊です。その後、数年がかりで制作していた姉妹本の「住民投票の総て」を、校正中の些細な諍いから今井氏と訣別することになったことも含めて。

内容としては非常に濃く、世界各国で行われた国民投票のデータベースでもあり、かつ引き込まれるルポルタージュもありで読み応えのある一冊です。写真もグラビアレベルで仕上げているため、一般書籍より数段高画質です。原発政策についての国民投票は、スウェーデン、イタリア、リトアニアの例が紹介されています。

私は、原発に関しては世界で脱原発が実現することを願っていますが、それ以上に民主主義と人権が守られることを願っています。原発政策に関しては専門知識を持つ者と政治家だけが決めるのではなく、住民投票や国民投票を経て「みんなで決める」、そのプロセスを実現することのほうが、原発の廃止か温存か以上に大事なことだと思っています。またそれで理性的な判断を下せるかどうか、民意の大勢、すう勢について、常にアンテナを張ってつかんでいたいと思っています。

 

 

 

本間龍()『原発プロパガンダ』岩波新書、2016

(漁野 亨)

 

私がお勧めしたいのは岩波新書「原発プロパガンダ」本間龍著です。20164月発行です。なぜ選んだかというと。科学的・技術的にはとっくに破綻しているはずの原発がなぜ続くのか、経済的にもそれほど有利とは思えないのになぜ続いているのか、一般の「国民」はなぜ騙され続けるのかが不思議だったからです。この本はその疑問に答えてくれています。歴史を追って順に説明してくれています。また具体的データーに基づいて(例えば1988年の読売の15段広告 通産省の例など)原発広告がどうなされていったのかなど、知らないことが多かったです。内容は本文を読んでもらうこととして、目次だけでもあげておけば序章「欺瞞」と「恫喝」から始まり第1章から3章までの原発プロパガンダの黎明期、発展期、完成期と続き、第四章でプロパガンダ爛熟期から崩壊へ、で福島原発事故の衝撃と証拠隠滅に躍起になった人たちの姿を描き、第5章で復活する原発プロパガンダで放射線リスクコミュニケーションを使った「安心」神話への転換を書いています。そして大事なことは広告代理店の電通や博報堂の存在が、欧米メディアとの違いを際立たせていることがいろいろな箇所で書かれています。

つまり広告によって資本の言いなりなるように仕組まれているという、いま最も考えなければならないことも示唆されていることです。

まだ読んではいませんが、他にも同じ著者で「原発広告」亜紀書房というのもありますし、広告についてはエコロジー社会主義(拓殖書房新社)の第3章も示唆に富んでいると思います。

 

 

 

広瀬隆()『原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島』ダイヤモンド社、2010

(朴勝俊)

 

 広瀬隆さんは1980年代初めから数多くの関連書物を出版され、日本の反原発運動にとっての中心的頭脳のお一人でした。私が原発問題に向き合うきっかけはチェルノブイリ事故(1986)の直後、中学一年生の時に読んだ『東京に原発を!』(集英社文庫)です。その後も広瀬さんの本はほぼ全て読みました。原子核核分裂の原理から放射線の危険性まで明快に説明される広瀬さんの本の影響を受けて、原発の危険性と不要性を確信し、大学生の時に「ストップ・ザ・もんじゅ」の運動に参加するに至りました。

その頃より、広瀬さんは特に「もんじゅ」と再処理工場の危険性を強く指摘しておられましたが、決して一般の原発がそれよりも安全であるかのようなニュアンスで語られることはありませんでした。あらゆる原発プラントに関する技術的危険性や核廃物処分の不可能さ、規制の欠陥、電力会社や原子力関係の政治家や学者の問題などを、激しい筆致で糾弾しておられました。これらの原発問題の中心に、原発震災の危険性がありました。

 本書は、福島第一原発事故が起こる直前の20108月に刊行されたものですが、原発を襲う大地震の危険性に焦点を当て、日本列島で原子力発電などあり得ないということを、何枚もの図表を用いて、基礎知識が無い人にも分かるように明快に説明されています。例えば、ヴェーゲナーが大陸移動説を発表したのが1912年頃で、ウィルソンがプレートテクトニクス理論を完成させるのが1968年ですが、プレートが移動し日本列島で衝突するという知見が国内で受け入れられるのが1980年代半ばです。つまりそれ以前に発注された原発は、それ以前の地震学に基づいて建設されており、耐震設計すらない時代に建設されたものも数多くあるという指摘です。また飛鳥時代から江戸時代にかけての東海地震や、富士山や桜島の大噴火など、日本における大地震や火山爆発の歴史資料を整理して示しています。近年の地震や火山噴火、とりわけ想定を超えた地震動が繰り返し各地の原発を襲った事実など、日々のニュースから、私たちが見落としてしまうような点と点を線でつなぎ、原発震災の危険性を予測しておられました。その上で、あとがきにおいて電力会社に原発を止めることを、一般の人々(特に若者たち)に行動することを呼びかけていました。

 無念なことに私たちは、2011年の311日の原発震災の発生を許してしまいました。次の原発震災を決して許さないよう、本書の広瀬さんのメッセージをつねに、繰り返し、かみしめています。

 

 

 

『東電刑事裁判 責任をだれがとるのか』

[A] 海渡雄一()『東電刑事裁判 福島原発事故の責任を誰がとるのか』彩流社、2020

[B] 添田孝史()『東電原発裁判 福島原発事故の責任を問う』岩波新書、2017

(増井 茂美)

 

 [A]の著者は弁護士で、この刑事裁判では、告訴、検察審査会、刑事公判に関わって、控訴審でも告訴する側として関わっている。そして、原子力市民員会の委員として、『原発ゼロ社会への道2017』の編集・執筆もされた。本著は、被告(東電の幹部3名)に対する長渕裁判長らの「無罪判決」批判と控訴趣意書が主な内容。

 [B]の著者は朝日新聞の記者のあとフリーランス。ただし、201711月発行なので、裁判の経過や判決文に触れられていないが、判決の問題点に迫る内容である。

 読むきっかけは、昨年(2020.12.4)の大飯原発設置許可取り消し判決(大阪地裁)であった。「ばらつき」あるいは「不確かさ」なる概念が争点の軸になっていたのが強烈だった。統計学の「幅」が、とりあげられだした。新型コロナ下、「最低7割、極力8割」など、わずかなデータから、パラメータを変えて、統計学的な幅も含めて様々な分析や予測をする、それが政策に反映されていくという世の中の変化と、微妙に重なり合った。ひょっとしたら、F1の事故でも、このような観点で見たらどうだろうかということも含めて読んでいった。

 判決文は「津波の被害の可能性を、東電の現場としては認識していたが、3名の幹部は、そこまで知らなかった(信頼性に足るような知見でなかった)」「今回のような巨大な津波は予想すらできなかった」だから無罪という筋書きである。

結果として、2002年から201137日(震災の4日前)までの、津波対策の様々な重要な証拠が、判決本体から切り離された(ただし、証拠として採用された事実は、他の裁判で活かされているようである)。その上で、主文では、「10m盤超(15.7m)の津波が来ても、その予想は、M8.4で作られており、今回のM9.0では仮に対策を進めてもムダであった」とのこと。「ばらつき」も考慮すれば、「津波対策をしなくてもよい」には絶対にならなかった数値ではないだろうか。言うなれば、「ばらつき」を考慮しない特定の数字が独り歩きすることで、この判決の論理的な誤りをよりわかりにくくしている。

一方、日本原電の東海第二では、東電の高尾氏の助言なども取り入れ、電源を高くに移すとか、密閉とか、津波の押し波、引き波に合わせて海水取水口を変えるとか、様々な対策をした後に震災をむかえた。その過程では、親会社である東電を刺激しないように配慮しながらも。様々な知見の「ばらつき」も最大限取り入れて施行したとのこと。これなどは、数値やデータとしての「ばらつき」ではなく、現場の経験や認識のもと、「原発に求められる高い安全性」を含めて対策の具体を決めたようである([A] p.129141)。「ばらつき」は難しい概念ではなく、ごく当たり前の経験則ともいえるだろう。

また、2008当時のメールや資料には「最新の知見を踏まえ『不確かさ』の考慮として発電所の安全性評価にあたって考慮する計画」([B] P.50)、「地震の揺れを計算するときに、ばらつき(不確かさ)を考慮することを求められた」([A] P.100)など、「ばらつき」の概念が導入され出したようだ。

虚偽、ごまかし、論理的な矛盾などを鋭く見抜いて、しっかりした科学的見地にもとづいて物事を進める動きが新型コロナ下で起こり、福島原発事故10年の今、原発の分野でも改めて問われて出すだろう。

余談だが、被告の一人、武黒一郎は東電の「フェロー」である。判決主文では「専門ではない」となっているが、とんでもない話ではないか。

 

 

 

安田陽()『世界の再生可能エネルギーと電力システム [系統連系編]』インプレスR&D2019

(村橋詳三)

 

この著書は『世界の再生可能エネルギーと電力システム』シリーズの中で、「系統連系」につ いて古い考え方と新しい考え方を対比しながら、 その問題点を明らかにしています。このシリーズには[風力発電編][経済・政策編][電力システム編][電力市場編]があり、それぞれ単行本として発行されています(各編の簡単な紹介を補足に記しておきます)。「系統連系」とは、簡単に言うと発電装置を電力系統(電力システム)につなぐことです。「系統連系問題」とは、電力の安定供給と電力品質を維持するために一定の基準を満たすこととされています。

「系統連系編」の位置づけは、「系統連系問題」が現在の日本での再生可能エネルギー導入をすすめるための最重要の問題点であるという認識にあります。そして、発電工学や電力工学の技術面と経済・政策などの制度面の両面からのイノベーションが必要であるという分析です。

ここで対象としている「再生可能エネルギー」 とは、変動性再エネ(VRE: Variable Renewable Energy)のことで、おもに太陽光発電や風力発電を意味しています。日本ではVREについて、誤った解釈がいまだに根強くはびこっているといいます。VREは不安定、VREは予測できない、VREは電力系統に迷惑、VRE は停電になる、VRE に問題があるので火力のバックアップ電源が必要、VRE に問題があるので蓄電池が必要、といった言説です。

まとめていえば次のようなことと理解しておきます。日本では「系統連系問題」とは VREの発電側の技術的な原因とされ、技術的な解決がされない限り大量のVREの系統連系は難しいとされている(20年くらい?の遅れ)。欧米など再エネ先進国・地域ではこのような解釈がされることなくVREの大量導入が進んでいる。「系統連系問題」とは、VRE を受け入れる側の電力システムの運用に関する問題ととらえられており、解決方法は技術的解決だけでなく法制度などの解決が重要と考えている。

エネルギーや電気のことを話題とすること自体があまりないままわれわれは暮らしています。あったとしても、「原発はイヤヤ」「温暖化の原因になる CO2 排出元は石炭火力だ」といった発電源の問題。「山を切り崩しての太陽光発電は自然破壊だ」「風力発電は騒音やバードストライクなどがあり問題」といった再エネへの疑念。「EV化が進むと自家発電でオフグリッドだ」「蓄電池もますます安くなるから停電も怖くない」といった根拠のあいまいな再エネ利用への期待。しかし、送配電網や電力システムについては話題にされることもあまりありません。このシリーズは丁寧な図表と説明、エビデンスと強調される参考資料の豊富さ、用語の定義や参考文献などが用意され、角度を変えて繰り返されます。

 具体例を挙げてみます。[風力発電編] P.27 1-5 風車のユニークな特徴:タービンって何?」 では、風車は出力が風まかせなので電力システムに迷惑をかけ「不安定電源」とされがちですが、 最近の風車は発電電力を制御する機能を備えているそうです。しかも、制御応答が高速なようです。[系統連系編]P.131 3.7 柔軟性」では、 風力発電がこのような柔軟性を持つとなるとガス火力が電力系統を調整したり、バックアップ電源の役割を担うといった概念そのものが崩れてくることになります。こうなってきているので電力市場での振る舞いも変化してくるとあります。簡単に言えば、テクノロジーの変化と系統連系のルールや政策、電力市場の運営の仕方の両者が同時並行的に変化している様相です。

自分にとっては、まだまだ未知の領域ですが、 折々に読み直してみたいと思える一冊です。

 

補足 シリーズのあらまし

[風力発電編]2017) 風力発電の技術的動向。風力発電データの国際比較。洋上風車と風力発電の将来。

[電力システム編]2018) 物理的経路や技術面での解説が中心。日本と欧州・北米との比較。自由化と発送電分離から見た電力会社について。停電と電力安定供給につい て。連系線とは何か?

[経済・政策編]2019) 再生可能エネルギーと電力システムという分野を経済・政策という観点からだけでなく技術面からも考察。何故世界では再エネが普及しているのか、再エネの便益とはからはじまり、現状システムの問題点を探る。最後には、「再生可能エネルギーは破壊的技術」と言いきる。

[系統連系編]2019) 系統連系問題とは何か。古い考え方(空容量、 ノンファーム、先着優先、原因者負担、不安定電源、バックアップ電源など)に対して、新しい考え方(実潮流、間接オークション、非差別性、受益者負担の原則、アデカシ―、柔軟性など)を対比することで複雑な系統連系問題を解説。

[電力市場編]2020) 電力の取引や市場での価値づけを中心に「何のために電力市場が必要なのか?」の基本を解説。計画値同時同量制度、確定数量制度、時間前市場 (当日市場)。フィードインプレミアム(FIP)、 メリットオーダー。

[風力発電編](第2版)(2020) 初版から3年半が経ち、日本での風力の変化や、世界の状況が激変していることからアップデートされています。

 

 

 

吉岡斉()『脱原子力国家への道』岩波書店、2012

山崎一郎)

 

2011311日の地震は名古屋駅のプラットフォームで迎えた。洲本に帰る新幹線を待っていたら大きく揺れた。震源は東北と知って、これは大きな地震だと思った。洲本に戻るバスの中で、淡路島南部の海側を通るバスは津波を警戒して不通になっていることを知った。

それからは、テレビの報道を呆然と見続けた。本の出版はすぐには間に合わないので、福一の原発事故に触れた本が出てくるのは遅れた。最初に本屋で見つけたのは経済評論家・内橋克人の『日本の原発、どこで間違えたのか』(朝日新聞出版、2011)だった。この本は「巨大複合災害が東北、北関東を見舞った」と始まり、発行日付は430日になっているが、著者の『原発への警鐘』(1986年)の復刻版として出版予定だったものに、序文をつけて「緊急出版」したものだった。

3.11事故を受けた本は、その後、続々と出るようになったので目についた本は追うようにした。その中で、当時の印象が強く、今でも重要だと思っているのは、吉岡斉の『脱原子力国家への道』(岩波書店、2012)だ。

 吉岡斉の「原子力の社会史」が、日本の原子力政策の唯一の通史として、3.11後注目され、入手できなくなっていたのが、10月に「新版」が出た。しかし、この本は3.11までの時期しか扱っていないので、待たれていたのが、脱原子力「実現のためのシナリオを描く」(本書帯の記述)という『脱原子力国家への道』(2012626日発行)だった。

 この本の意義・特徴は3点にまとめられると思う。

 第一は、日本の原子力発電事業を研究者として追ってきた著者が、3.11を体験したうえで、脱原発に向けた大きな方向を指し示したこと。

 第二に、3.11の経験を通じた著者の考えの変遷を率直に述べていること。「世界標準炉である軽水炉ではめったに(原発事故は)起きないだろうと、筆者は迂闊にも思い込んでいた」(p216)。そして、「それでも筆者は福島原発事故をきっかけに、原発の「即時・無条件全面」廃止を唱えるようになったわけではない」(p217)と、再稼働については「緊急避難的な仮免許の交付を認めることを否定しない」(p221)と考えていたことを隠していない。政府・経済産業省の再稼働シナリオ固執を前にして、筆者は背を押される。

第三に本書の独自の主張で、読んだ当時「エッ」と思ったのは、脱原子力国家は核の軍事利用への対応を含むべきとして、「核」と「原子力」の用語を区別する日本特有の表現の仕方に反対していることである。そして、本書では、「日米原子力同盟」というキーワードを使っている(p122)。脱原発を実現する方法については、「8-3国家計画による脱原発か自由主義的改革による脱原発か」(P176)と章を立てて、論じている。「自由主義的改革」とは、これまでの国による保護をすべて止め、電力会社の自主的判断にまかせようとすることである。筆者は自由主義的改革に傾いていたが、この時点では結論を出す必要はない、としている。

で結局、この時点での筆者の立場は?「ちなみに筆者の立場は反原発ではなく、脱原発に近いところにある」(p143)。今読み返してみるとよくわからないことが多い。事故後1年と少しの時点で書いているのだから、当然とは言える。著者は、その後原子力市民員会で活動し、「脱原子力政策大綱」をまとめ上げられるのだが、その中で、上にあげたような主張を変えたのかは外部からではわからない。 

 しかし、「大綱」「原子力ゼロへの道」を座長としてまとめることに専念し、2018年に亡くなる。

3.11事故とその後の事態を通して、脱原発の立場を貫き、誠実に歩んだ著者の最後の単著として、今でもその価値は変わっていないと思う。

 

 

 

新藤宗之()『原子力規制委員会」――独立・中立という幻想』岩波新書、2017

(齋藤 輝久)

 

 実のところ、課題にしたかった本は、原子力損害賠償法に関わる資金の流れ(被災者にわたる資金がどこから調達されてどのような法整備により給付されているのか)を解説した本を見つけたかったのですが、大きな本屋で検索(*1)してみたら、賠償法の解説とか法律の適用に関わる手続きとかばかりで、もちろん検索に時間をかける余裕もなかったので諦めました。

 そのときに、例会で話題になった12月4日、大阪地裁の大飯原発3・4号機の設置許可取り消し判決では原子力規制委員会自体のチェック体制について批判されたということがありました。それで、原子力規制委員会そのものが、どのような成り立ちや体制なのかを知りたいと思い本書を選択しました。

 

 本書の目次内容は、以下のような章立になっています。

 序章 ククシマ後の現実

 第1章 原子力規制委員会はいかに作られたのか

 第2章 原子力規制委員会とはどのような組織なのか

 第3章 原子力規制委員会とはいかなる行政員会か

 第4章 原子力規制委員会は「使命」に応えているか

 第5章 裁判所は「専門家」にどう向き合ったのか

 第6章 原子力規制システムは、どうあるべきなのか

 分かり易く説明されており、分量的にもこの程度(新書版)がとっつきやすいと思います。

 

 このなかで、わたくし自身が気づかされたことや、なるほどと感じた点をピックアップしたいと思います(こんなに多くのポストイットを貼りつけながら本を読んだのは初めてでした)。

 

 〇「冷温停止状態」(311後の12月に使われた)というのは政府・東電の「造語」であるということ。

「冷温停止」というのは制御棒により未臨界状態にして冷却水が100度未満になった状態をさすのであって、すなわち平時(=通常運転)状態を表す言葉であり、溶解した核燃料棒の形状も位置も掴みきれていない状況は「冷温停止」とは程遠い。

国民を安心させるためのマヤカシ造語だった。

〇原発の規制行政が3分化されてたこと。

・発電用は通産省、 ・船舶用は運輸省、 ・試験研究用は科学技術庁(省名は、当時)

〇アメリカのNCR(原子力規制委員会)に学んだ組織とは言えない日本の原子力規制委員会。

 「独立性」「中立性」「公平性」「公開性」「専門性」「市民性」のどの点についても異なる。

〇緊急時避難計画の不作為。

自治体任せとした上で、現実には規制委員会の災害対策指針を丸写しした文言だけで全く具体性のない絵空事になっている。

  

全体を通して、著者は原発政策の不条理をひとつひとつ丹念に、政治状況との関連性も含めて具体的に示して説明しています。本来「独立性」「中立性」を担うべき原子力規制委員会のみならず、司法行政の在り方や、政権の政策推進に偏った動き暴き出し、それはまさに国民不在の政治ということを露わにしています。

 

 さて、最後にこの本を読んで、(私にとって)一番感動的だったことをお伝えしたいと思います。

昨年の12月4日に大阪地裁で大飯原発3・4号機の再稼働差止判決がありました。

 たまたまタイミングよく同月17日に開催された脱原発政策研究会のZoom例会では、当裁判の原告団の一員でもある武村弁護士より、判決内容の説明を受けたときの興奮はまだ忘れられません。

2015年の歴史的といえる福井地裁での初の原発稼働差止の判決(樋口裁判長)を彷彿させました。

 

著者は、本書の出版が201712月ですから、2018年の名古屋高裁金沢支部での逆転判決は知るべくもなく、本書では未来形で「最大の焦点となるだろう」と書かれています。

 

ところが本書の中(p.131136)に今回の判決根拠となった内容が書かれていることに驚きました。

今回判決の根拠理由はすでに島崎邦彦氏(元規制委員会の地震学者)が2016年の論文で詳しく指摘していたということでした。本書の説明部分は、すでに例会において説明を聞いていましたので、直ぐにその意味がわかりました。

同じ科学的知見を根拠にしても、それをどのように評価するかでまるで逆の判決になったということもよくわかります。著者によれば、このようなまだら模様となる判決も、今後は国民の理解が得られるような流れになってゆくであろうと、どこかで書いていました。

私もそうなることを心から願ってやみません。

                                           以上

(*1)丸善ジュンク堂書店にて、検索。

  『原子力損害賠償の法律問題』(卯辰昇 著)

  『原子力損害賠償法改正の動向と課題』(桐蔭横浜大学法科大学院原子力損害と公共政策研究センター)

  『原子力損害賠償制度の成立と展開』(小柳春一郎 著)

  『原子力損害賠償法―法学の森』(豊永普助 著)

  『原子力損害賠償法制度の研究、東京電力福島原発事故からの考察』(遠藤紀子 著)

  『原子力損害賠償の現状と課題』(一橋大学環境法政講座)

『原子力の深い闇―国際原子力ムラ複合体と国家犯罪』(相良邦夫 著)

『原発の安全を保証しない原子力規制委員会と新規性基準』(奈良本英祐 著)

『原発と大津波 警告を葬った人々』(添田孝史 著)